地震の影響

金曜にあった地震のときはちょうど仕事中でした。同じ部署の課長代理と立ち話をしていたときですが、何かゆれだしたので地震だと思いました。はじめはいつもの小規模の地震かとおもったんですが、思ったよりも長く揺れも大きくなったので、いざというときのために、玄関(事務所から一番近い出入り口なので)のほうに向かいました。すでにうちの部署の方(特に女性)が何人かいたので、「やばいですねー」とかいいながら状況を見守っていました。会社は移転したばかりで免震構造がよくできていたのか建物が壊れるような気配はまったくなく、皆笑ってました。5分ぐらいたつと支えがなく立つのも大変になってきたので、本事務所に向かうと、皆呆然と立ち尽くしていました。こういったときに普段の防災訓練が役に立つのだろうと思った。うちは駄目だ・・・前の会社が避難を始めたのをきっかけにうちも避難をすることになり、ひとまず駐車場に避難することに、30分ぐらい待機していたが、余震が続いていた。しばらく様子をみて、急遽解散をすることになった。
当日は車で出社していたため、電車が止まって帰れない同じ方面の同僚3人を送っていくことに。
16時半に会社を出て、すぐに渋滞に巻き込まれ、一人目をおろしたのは18時半頃。二人目を19時半ごろに下ろし、3人目は20時半ぐらいになった。送っている間もカミ様に連絡を取ったが、まったく携帯がつながらず・・・
ようやくつながったと思ったら都内に営業に出ていたようで、東陽町にいることが。電車、バスはまったく機能していないため、迎えに来てほしいといわれる。カミ様は葛西まで歩くというので、そこで待ち合わせることに。ここからも渋滞はとめどなく続き、葛西駅についたのは22時ごろ。無事会えたと思ったらカミ様は、もう一人車に乗せたので知り合いかと思ったが、歩く途中で話しかけた娘だという。車の会話の中では可愛いとのことだったが、運転と暗い車内でまったく見えず・・・
その娘はうちから10分ぐらいのところにすんでいるようなので、ついでに送っていくことになった。
ここから帰宅するのだが、渋滞がまさにひどいことに。皆かえれないひとを迎えに行った車でひどいことになっていた。途中でかけたぬけ道が功を奏し、同乗者の娘をおろしたのが深夜2時。
帰ってきたのが、2時半となった。
会社を出たのが16時半なので、10時間近く運転したことになった。